私たちは、目まぐるしく変わり続ける時代に生きています。
女性はますます活躍の場を広げ、男性はより変化を求められる。
人々の生き方や、家族のあり方は、ますます多様化していくことでしょう。
しかし、どんなに世の中が変わっても、変わらないタイセツなものがあります。
それは、仕事や家事、育児でどんなに忙しくても、カタチにしたいタイセツな想いです。
おいしい食事で特別な時間にしたい、タイセツ。
お気に入りの場所で、心地よくくつろぎたい、タイセツ。
きれいに洗いあがった服で、家族に自信を持ってほしい、タイセツ。
食卓を、笑顔で満たしたい、タイセツ。
東芝ブランドを担う私たちすべては、お客さまをタイセツにし、
お客さま一人ひとりの生活におけるタイセツを意識する。
そして、お客さまそれぞれにとって素敵なくらしを届けられるよう、
人の想いに向き合い、取り組む日々の中で新たな価値をカタチにしていく。
一人ひとりが創造する価値を一つにし、東芝ライフスタイルグループは
細部までタイセツにした、家電というカタチでこたえていきます。
タイセツをカタチにしたいすべての人へ、タイセツをカタチにした家電を。
衣食住すべてに
家電でタイセツを、カタチにしていきます
エアコンの風が苦手という家族にも
きれいな空気と快適さを同時に届ける。
家族には健康でいてほしいから。
そのタイセツな想いをカタチに
今のエアコンの基本形となったセパレート形を1961年(昭和36年)に誕生させた。
今や家庭用エアコンのスタンダードといえばセパレート形。これを1961年(昭和36年)に日本で初めて誕生させたのは東芝でした。その後、ロータリーコンプレッサーを採用したエアコン(RAS-81B)を発売したのが1969年(昭和44年)のこと。従来に比べて部品点数が少なく、小型化できて省電力。その上、低騒音という快適性から「木かげ」というシリーズ名で発売されました。
1973年(昭和48年)のオイルショック以降、エアコンにも省エネという新しい価値が求められるようになります。東芝は半導体や精密加工技術などグループ全体の技術力で1981年(昭和56年)に家庭用としては世界で初めてのインバーターエアコン(RAS-225PHKHV)を発売。これにより市場におけるエアコンの省エネ基準は大きく前進しました。
それから14年後の1997年(平成9年)には、空気清浄適用床面積最大14畳の高い空気清浄能力を備えたエアコン(RAS-285BDR)を発売。清潔という新たな価値観を市場に提案。大きな省エネ、清らかな空調、快適な空気という想いを込め、シリーズ名を「大清快」と改めました。
環境意識の高まりやライフスタイルの変化に伴って、春秋のちょっと寒かったり暑かったりする時期にもエアコンを使いたいというニーズが増えるにつれ、省エネ性能へ期待も高まってきました。そんなお客さまの声を受けて、2004年(平成16年)に開発したのが省エネ性能に優れた世界初となるデュアルコンプレッサーでした。文字通り2つのシリンダーを搭載し、立ち上げ時には2つのシリンダーを高回転させてパワーを作り出し、室温が安定してきたら片方のシリンダーを止め、もう片方の回転数も下げることで、扇風機並みの小電力で運転する独自技術です。小電力でも室温を安定させられるため、高い省エネ性と快適性の両立を実現しました。小電力でも室温を安定させられるため、高い省エネ性と快適性の両立を実現しました。
さらに、近年でもエアコンに対して残っているネガティブなイメージ。それは、直接冷風に当たることによるストレスです。それが原因で体調をくずしてしまう人も少なくないといわれています。そんな課題を解決すべく、2019年(令和元年)から搭載した技術が無風感冷房です。特殊なルーバーにより、風が当たっていることを感じにくい無風感を作り出し、風は感じないのに涼しいという冷房を実現。冷やしたいけど風には当たりたくないという一見相反する要望を独自技術で解決し、エアコンの風が苦手な人も快適に過ごせるようにしました。
掃除をするのは楽しい時間。
帰ってきた時に部屋がきれいだと
誰でも嬉しいから。
1963年(昭和38年)に発売したマジックバッグ式搭載掃除機(VC-37HD)は、吸塵量で他社と差をつけた。
掃除機は、人が移動させながら使用する数少ない家電です。そのため、掃除機は吸引力はもちろん、住宅やライフスタイルのトレンドにあわせながら、道具としても使いやすいものでなければなりません。
1931年(昭和6年)に東芝(当時は芝浦製作所)は、日本初のアップライト型真空掃除機(VC-A型)を発売。家屋に土埃が入り、掃き掃除が欠かせなかった1963年(昭和38年)には、吸塵量が他社製品の7倍となるマジックバッグ式掃除機(VC-37HD)を発売し、話題となりました。
1970年代には団地が急増。当時の集合住宅では、床の音が伝わりにくい絨毯が普及し、それまで以上の吸引力が求められたため、1978年(昭和53年)に3倍吸えるゴミプレス搭載の掃除機(VC-8300)を発売。大量にゴミを吸うことができ、ゴミ捨ても簡単だったことから大ヒットとなりました。
1986年(昭和61年)には、日本初となるヘッド部にもモーターを搭載したパワフルな掃除機を発売。その後、吸引力が上がった反面、ヘッドが絨毯に吸い付いて操作が重くなるという不満を解消するため、1991年(平成3年)にはスイスイ掃除できる自走式のパワステヘッド搭載モデルを発売しました。
吸引力と操作性という問題が一旦解決した後、お客さまの不満として残っていた運転音を下げるため、2008年に世界初のクワイエ機構を搭載した低騒音モデル「クワイエ」(VC-1000X)を発売。その後、フローリングが普及。床材のトレンドが変わってきたことから、2010年(平成22年)にサイクロン式の「トルネオ」(VC-CG510)を発売。人間工学に基づいた形状や軽さがヒットし、「トルネオ」シリーズが市場に浸透しました。近年はコードレススティック掃除機が流行しているように、より手軽に掃除できるタイプが求められています。
掃除は何かを生み出すわけでなく、元の状態に戻すリセット家事。年齢や性別を問わず、吸引力が強く、軽く、お手入れを含めた使いやすい掃除機が求められています。開発担当者はもっと掃除を好きになってもらえるような製品を今後もお届けするために、アイデアを出しあい、日々新製品の開発にチャレンジしています。
ワイシャツだってお洒落着だって
買ったときのきれいなままで
いつでも着続けたいから。
1930年(昭和5年)に、国産第一号の洗濯機(ソーラーA型)を発売。
洗濯板にゴシゴシと洗濯物をこすり付けて洗っていた1930年(昭和5年)。東芝(当時は芝浦製作所)は、国産第一号の洗濯機(ソーラーA型)を世に送り出します。女性が家事に追われる日々を、当たり前に送っていた時代に開発した画期的な家電です。
日本初のタイムスイッチ付きの噴流式(VB-3型)を開発したのは1950年(昭和30年)。その翌年、二槽式の洗濯機すら世に出ていない時代にもかかわらず、日本初のドラム式全自動洗濯機(DA6型)を発売しました。
昭和40年代からは二槽式洗濯機全盛の時代へ。1966年(昭和41年)には二槽式洗濯機「銀河」を発売、手廻しローラーから自動で脱水ができる二槽式時代の到来を告げました。1980年(昭和55年)には日本で初めて洗濯と脱水を同時進行できる「シャワーリンス銀河」(ASD-500N)を発表。家事をすばやく済ませて、時間にゆとりを持ちたい、そんな考え方が次第に高まっていた時代だったこともあり、空前の大ヒットへとつながります。
バブル崩壊後、女性の社会進出が急増し始めた1997年(平成9年)。早朝や深夜に洗濯したいというお客さまの声にこたえ、発売したのが「DDインバーター銀河」です。人々のライフスタイルが多様化し始めたこの時代に、どんな時間帯でも近所に気兼ねなく洗濯ができると注目が集まったほか、画期的な生産技術に対して贈られる大河内記念技術賞も受賞しました。
今や専業主婦がいる世帯の数を共働き世帯数が大きく追い抜き、家庭では家事に当てられる時間が圧倒的に少なくなりました。直径1μm未満のナノサイズの泡で、洗剤の洗浄力を高めるウルトラファインバブル洗浄を搭載した洗濯機「ZABOON」(TW-127X8)は、常温の水を使っても、短時間でしっかり汚れを落とせることで話題に。各社が近年採用を始めた洗剤・柔軟剤自動投入機能ももちろん搭載していますが、当社は1987年(昭和62年)にも当時主流だった粉末洗剤を自動投入できる全自動洗濯機を発売しています。
このように多様化する家族のあり方やライフスタイルにあわせ、常にお客さま目線で時代を先取りし続けてきました。これからも当社は技術と人をつないで、より快適な暮らしをサポートできるような新製品の開発に取り組み続けます。
やっぱりシワのないシャツを
毎日手軽に着られるって
とても気持ちいいことだから
1915年(大正4年)に東芝(当時は芝浦製作所)から発売された国産初電気アイロン。東芝の電気アイロンの歴史は、100年以上遡る。
アイロンの歴史は古く、日本では平安時代に炭火で使う火熨斗(ひのし)という道具が使われていました。時を経て1910年頃、アメリカで電気アイロンが実用化。日本初の電気アイロンが登場したのは1915年(大正4年)で、東芝(当時は芝浦製作所)が発売しました。その後、1955年(昭和30年)にはスチームアイロン(EI-3)、1967年(昭和42年)にはかけ面にフッ素加工を施したアイロン(HIS-61F)など、革新的な進化を遂げていきます。
アイロンは小型になるほど技術的に難しくなりますが、小型軽量で使いやすいアイロンの開発に挑戦しています。2001年(平成13年)のコードレススチームアイロン「とってもラ・クー」(TA-FV1)は、開発努力が実り、大ヒットとなりました。同製品の特徴は腕への負担に配慮したオープンハンドルを搭載したこと。使う人によって一番フィットしやすい場所を自由に握れるようになったため、使いやすさが大きく向上。多くの人々にイノベーションをもたらしました。
さらにかけ面の素材にもこだわりました。2004年(平成16年)発売の「とってもラ・クー」(TA-FVX2)から採用しているのが、ロケットのエンジンなどにも使われる素材BORON(ボロン)です。磨耗しにくく、ファスナーなど金属に引っかけてもかけ面には傷が付きにくい上に、ボロンのかけ面は高温になると滑りやすさがアップするため、よりスムーズにアイロンがけができるようになりました。
その後、2018年(平成30年)に、業界で初めてコードレスタイプの衣類スチーマー(TAS-X4)を発売します。
衣類スチーマーはアイロンと異なり、本体を垂直にした状態で使うこともあります。常にスチームを発生させるには水をくみ上げる電動ポンプが必要でした。そのため、衣類スチーマーのコードレス化は難しい、といわれていましたが、当社は電動ポンプの代わりに、水を安定的にヒーターに送り込むことができるバルブ(弁)を新たに開発。これにより、左右60°に傾けてもスチームが出る実用本位のコードレス衣類スチーマーが誕生しました。
現在、当社のアイロン、衣類スチーマーは、お客さまの使用シーンを考えて、最適なモデルを選べるようにコードの有無など幅広いラインアップを用意しています。
家族においしい料理を作るため肉や野菜を
まとめ買いしても安心。
食材は常に新鮮なままだから。
1930(昭和5年)に発売した家庭用電気冷蔵庫(SS-1200)。当時は高価だったので憧れの対象だった。
冷蔵庫が存在していなかった時代、人々は食べきれる分だけを購入し、その日のうちに消費するというライフスタイルが主流でした。1930(昭和5年)、食材を少しでも長く保存したい、という要望から生まれたのが、東芝(当時は芝浦製作所)の国産第一号機となる家庭用電気冷蔵庫(SS-1200)です。以来、東芝は日本初の機能を搭載した冷蔵庫を次々と世に送り出してきました。
1990年(平成2年)、当時の冷蔵庫は冷凍室が上部、冷蔵室が下部のレイアウトが主流でした。そんな時代に、冷凍室を引き出し式にして、冷蔵室を目の高さに配置したミッドフリーザー冷蔵庫(GR-W45MI)を発売。結果、これが現在の冷蔵庫のスタンダードに。使いやすさを最優先に考えたゆえ、冷蔵庫のレイアウトに革命を起こしたのです。
1998年(平成10年)には、日本で初めて2つの冷却器を搭載した「高湿ツイン冷却冷蔵庫」(GR-470K)を発売しました。冷蔵と冷凍で独立した制御をするため、安定した温度を保ちつつ、消費電力の無駄を減らせるのが特徴です。
当社の冷蔵庫の歴史を語る上で欠かせない存在なのが「VEGETA(ベジータ)」です。野菜室を腰の高さに配置した「野菜室がまんなか」のレイアウトで、かがむことなく野菜を取り出せ、立ったままの姿勢で奥までよく見えるので、日持ちしにくい食材の使い忘れを防ぐというメリットもあります。発売から10年経ちますが、現在でも人気のスタイルです。
このように当社の冷蔵庫は、お客さまのご要望や不満を技術力で解決しながら、使いやすさや性能向上を徹底的に追求してきました。今後は保存性能などの機能向上に加え、新しい使い方の提案にも力を注ぎます。
冷蔵庫は子どもからお年寄りまで、家族全員が日常的に使うもの。身体への負担をできるだけ軽減し、日常に溶け込む使いやすさが求められる家電です。お客さまの目線に立ち、冷蔵庫を開発していく姿勢はこれからも変わりません。
ごはんが毎日おいしいって
当たり前のことだけど、
家族にとって何よりタイセツだから。
1955年(昭和30年)に、日本の朝の風景を変えた自動式電気釜(ER-4)。
日本で初めて炊飯器(電気釜)が誕生したのは1955年(昭和30年)のこと。当時の主婦には、朝早く起きてかまどに火を起こすという仕事がありました。東芝は、炊事の負担を少しでも軽減できないものかという想いから、自動式電気釜(ER-4)を発売。日本の暮らしを一変させました。その後も、一貫して家事の低減、食事準備の時産、おいしさをコンセプトに掲げ、時代のニーズにあわせて炊飯器を進化させてきました。
1968年(昭和43年)に発売された炊飯器(RC-10LHF)は、フッ素加工を施した内釜で、ごはんのこびり付きを軽減させることに成功。洗いものの手間を減らしました。2006年(平成18年)に発売した炊飯器(RC-10VS)には長時間保温機能を搭載。当時の人々は、「長く保温したごはんは、おいしくないもの」と、諦めていました。そんな中、当社は長時間保温してもおいしいごはんとは何かを追求。内釜内部を真空・密閉状態にすることで水分の蒸発を防ぎ、ごはんの乾燥や黄ばみなどを抑えておいしく保温することに成功します。この真空技術は吸水工程にも採用。米の芯までしっかり吸水させ、加熱した際にはムラなく炊き上がるという画期的な技術でした。
ごはんは大火力で一気に炊き上げることでおいしくなります。そのカギとなるのが内釜です。1994年(平成6年)登場の炊飯器(RCK-W10Y)の内釜に採用した溶湯鍛造製法(ようとうたんぞうせいほう)は、自動車部品の製造に使用されるような高度な技術。この技術によって、当社の求めるおいしさに必要な大火力での連続加熱・連続沸騰を実現した内釜が完成。
羽根付きで丸底という内釜形状にもこだわり、2015年(平成27年)RC-10ZWHでようやく商品化に成功しました。毎日使う炊飯器だからこそ、お客さまに安心してお使いいただける製品を、という発想のもとにコーティングの研究・開発も進め、2008年からは「内釜5年保証」を謳っています。
2018年(平成30年)登場の真空圧力IH炊飯器(RC-10ZWM)では、従来110分かかる玄米の炊飯時間を53分に短縮するなど、「早くて・おいしい・さらに健康!」という時代のニーズにあわせた価値観を提案しています。
当社の炊飯器は日本を代表する米産地、新潟の金属加工の町として有名な燕三条地区に隣接した加茂市の工場で作られています。米と金属加工。当社はお米を愛してやまない開発担当者の炊飯スピリットと高い技術力で「おいしさ」と、「家事の低減」に挑み続けます。
週末も平日もどんな時でも
いろいろな料理を時短で簡単。
苦労しなくてもおいしく作れるから。
1959年(昭和34年)に、新幹線のほか上野動物園やデパートの食堂などに導入された国産初の電子レンジ。
東芝科学館に展示されている人の背丈ほどの四角い箱は、1959年(昭和34年)東芝が日本で初めて完成させた電子レンジ(DO-2273B形)です。初任給約1万円だった時代に125万円という価格でしたが、加熱調理の速さと火を使わない安全性が評価され、デパートや新幹線の食堂車などに導入されました。
それから9年後の1968年(昭和43年)には他社に並んで家庭用電子レンジを発売。蒸し器でごはんを温めるのに20分程の時間がかかるのに対し、数分で温められる電子レンジは、昭和最大の発明と話題になりました。
1977年(昭和52年)には多様化する調理レシピに対応するため、オーブンレンジが誕生。その後、時を経て最大の転機となったのは2002年(平成14年)。もっと調理器具としてオーブンレンジを活用してもらいたいという想いからオーブン機能を強化するため、パンやピザを焼く石窯にヒントを得て、遠赤外線で焼き上げる「石窯オーブン」(ER-V9)を誕生させ、ヒット商品となりました。
2009年(平成21年)に登場した「石窯ドーム」(ER-GD500)では、庫内天井を本物の石窯のように湾曲させました。コーティングも変更して遠赤外線の放射性能を向上。さらに角皿にスリットを入れるなど庫内に熱を行き渡らせる工夫を凝らし、最高温度350℃、予熱200℃約5分を実現。パン・お菓子作りを趣味とする人からの指名買いが増え、オーブン調理なら東芝という認識が、またたく間に定着しました。
次に取り組んだのは小型化でした。大型オーブンレンジの購入者から寄せられた設置に関する不満を解決したいと考え、奥行き40センチ以下の商品開発に挑みました。しかし、レンジにはマイクロ波を庫内にとどめるための機構や耐熱設計には十分なスペースが必須です。安全性に配慮しながらも、庫内容量はしっかりと確保し、なおかつ外形寸法を小さくするのは困難を極めました。ムリといわれても何か方法があるはずだと、みんなで知恵を絞りました。担当者の努力が実り、オーブンレンジのコンパクト化に関する特許を次々と申請。技術イノベーションにより、困難といわれた小型化に成功しました。
日本初の電子レンジから半世紀以上もの時を経て、今なお進化を続ける当社のオーブンレンジ。これまでもこれからも、「おいしいものが簡単に作れる本格的な調理器」の開発は続きます。
仕事や家事、育児でどんなに忙しくても、
カタチにしたい、タイセツな想いがある。
そんな一人ひとりのタイセツに、私たち東芝ライフスタイルは、
細部までタイセツにした、家電でこたえていきます。
タイセツをカタチにしたいあなたへ、タイセツをカタチにした家電を。
ブランドシンボル
「東芝レッドスクエア」とは?
レッドスクエア。これが東芝ライフスタイルのブランドシンボルです。
レッドは、東芝が長年使用しているコーポレートカラーであり、この赤いロゴは国内のみならず世界中で広く認知されています。赤に込めた想いは情熱やあたたかさ、活動的、リーダーシップ。長い歴史を誇る東芝ブランドとして培われてきたカラーを当社は継承していきます。
スクエアのデザインには歴史の中で受け継がれてきた実直さ、規律性、安心感、信頼感の意味が込められています。これまでも独創的な製品の開発を行い、生活家電の国産第一号機を数多く世に送り出してきた東芝。暮らしと密接に関わってきた歴史と共に、徹底的な管理の下での高品質なモノづくりは、国内はもとより、海外でも信頼性の高い日本ブランドとして評価されています。
シンプルでわかりやすく、一目で東芝ブランドとわかるレッドスクエア。これまで長年愛されてきた東芝の欧文ロゴと同様、未来をつむぐ東芝ライフスタイルのブランドシンボルとして社会に発信していきます。